=肥田舜太郎=
27歳の時軍医として広島の原爆に遭遇し、以来60年以上にわたって何千人という被爆者の治療にあたり、それまでの医学書には載っていない奇妙で恐ろしい症状の原因が内部被曝にあることを突き止める。原爆の被害を隠蔽しようと強権を発動するアメリカに対し敢然と挑み続け、2011年の福島の原発事故以来、何としてでも核の恐ろしさを広く世に伝えようと、90を越える高齢にもかかわらず、請われる度に全国をまわって400回の講演をこなす。
東北大震災を、何とか風化させないよう復興、支援にがんばっているカッコいい大人たちの記録保管所です。活動と知恵の共有の場になればと思い、お一人お一人を尋ねて、全国、全世界の人々に、伝え続けて行こうと思います。
=肥田舜太郎=
27歳の時軍医として広島の原爆に遭遇し、以来60年以上にわたって何千人という被爆者の治療にあたり、それまでの医学書には載っていない奇妙で恐ろしい症状の原因が内部被曝にあることを突き止める。原爆の被害を隠蔽しようと強権を発動するアメリカに対し敢然と挑み続け、2011年の福島の原発事故以来、何としてでも核の恐ろしさを広く世に伝えようと、90を越える高齢にもかかわらず、請われる度に全国をまわって400回の講演をこなす。
東京地方裁判所は2019年9月19日、福島第一原子力発電所の事故をめぐり、業務上過失致死傷罪で起訴されていた東京電力の旧経営陣3人に無罪判決を言い渡しました。この短編映画の目的は、東京電力刑事裁判の争点を描くことにあります。一度見てください。
[3.11東日本大震災]を振り返り、福島被災地の農村の様子を紹介します。
1963年(昭和38年)三重県の南に位置する南伊勢町と大紀町にまたがる芦浜に突如、原発建設計画が持ち上がります。1963年〜2000年までの37年間にもおよぶ苦闘の末、芦浜原発計画は白紙撤回となりました。この作品は、その長く辛い闘争を生き抜いた漁師夫婦の記録です。
茨城県の東海第二原発は、東京に一番近い(100km)日本初の大型原子力発電所として1978年に営業運転を開始しました。東日本大震災以降は稼働を停止していますが、2018年、原子力規制委員会が20年の運転延長を認可しました。原発の存廃は、社会的にも、経済的にも、県民の生活に大きな影響を及ぼします。そこで小出さんそんな原発は再稼働させる合理的な理由存在しないと熱く語ります。
小出裕章さんのプロフィール
1968年 原子力の平和利用に夢を抱いて東北大学工学部原子核工学科入学
1970年 宮城県女川での反原発集会への参加を機に原発を止めるために原子力の研究を続けることを決意
1974年 京都大学原子炉実験所助手
2015年 同実験所助教を定年退職