「本当に助けて欲しいって思った時には、来なかったねえ、誰もー。」
舞台は、福島第一原子力発電所の北22km。津波に見舞われた福島県南相馬市萱浜(かいはま)地区。消防団員の上野敬幸さんは、自宅にいた両親と子ども2人を津波で流され、必死に家族を捜していました。その最中、福島第一原発が爆発。街から人の姿は消え、警察も自衛隊も来ません。捜索のために避難を拒んだ上野さんの目に映ったのは、津波で一帯が根こそぎ流された萱浜地区に、たった一軒遺った我が家だったそうです。
舞台は、福島第一原子力発電所の北22km。津波に見舞われた福島県南相馬市萱浜(かいはま)地区。消防団員の上野敬幸さんは、自宅にいた両親と子ども2人を津波で流され、必死に家族を捜していました。その最中、福島第一原発が爆発。街から人の姿は消え、警察も自衛隊も来ません。捜索のために避難を拒んだ上野さんの目に映ったのは、津波で一帯が根こそぎ流された萱浜地区に、たった一軒遺った我が家だったそうです。
[家族写真]第26回小学館ノンフィクション大賞
思いがけず訪れた、初めてのノンフィクション執筆の機会。選んだ題材は、2年前に自主制作したドキュメンタリー映画『Life 生きてゆく』のストーリーでした。映画では表現しなかった部分として、今回は、カメラを回す私自身と福島の津波被災遺族との関係性を軸に書き進めていきました。出会いから、その後の長期にわたる関わりの日々を、ありのままに執筆しました。
笠井千晶元報道記者(SBS静岡放送・中京テレビで計15年間勤務)
テレビ報道の現場で、トータル15年間の経験を積む。
報道記者やニュースディレクターとして、現場リポートの他、社会派のドキュメンタリーを制作。多数の受賞歴を持つ。
2006年秋に渡米。ニューヨークに1年半滞在し、ドキュメンタリー制作の本場で活躍する映画監督などに刺激を受ける。
2008年に帰国後、テレビの現場と並行しながら、ビデオカメラを手にフリーのジャーナリスト活動を開始。自主上映会の開催等活動する。
テレビ報道の現場で、トータル15年間の経験を積む。
報道記者やニュースディレクターとして、現場リポートの他、社会派のドキュメンタリーを制作。多数の受賞歴を持つ。
2006年秋に渡米。ニューヨークに1年半滞在し、ドキュメンタリー制作の本場で活躍する映画監督などに刺激を受ける。
2008年に帰国後、テレビの現場と並行しながら、ビデオカメラを手にフリーのジャーナリスト活動を開始。自主上映会の開催等活動する。
笠井千晶Homeページ
0 件のコメント:
コメントを投稿