2017/02/24

災害ボランティアから、とうとう、ご当地ヒーローまで立ち上げました。

震災直後に初めて入った南相馬。子供達に手洗いの仕方を伝えるために、人気のあるヒーローを0から立ち上げました。今では、東京から南相馬に移住して、100%、奮闘中です。






2017/02/15

福島原発22キロ 高野病院奮戦記 がんばってるね!じむちょう!!ー1

福島県広野町にある高野病院。 最も深刻なレベル7と評価された東京電力福島第一原発の事故後、原発30キロ圏内の病院では唯一、患者を受け入れ続け、地域医療の拠点としての役割を担ってきました。 事故による多忙と混乱、退避せずの判断、入院患者移送の苦労、看護師不足の悩み、行政・東電との丁々発止などを、当時のブログやメールを交え、ユーモアを失わずに奮闘してきた女性事務長からの聞き語りです。

井上能行さんの本「福島原発22キロ 高野病院奮戦記 がんばってるね!じむちょう!!」



福島原発22キロ 高野病院奮戦記 がんばってるね!じむちょう!!ー2

福島県広野町にある高野病院。 最も深刻なレベル7と評価された東京電力福島第一原発の事故後、原発30キロ圏内の病院では唯一、患者を受け入れ続け、地域医療の拠点としての役割を担ってきました。 事故による多忙と混乱、退避せずの判断、入院患者移送の苦労、看護師不足の悩み、行政・東電との丁々発止などを、当時のブログやメールを交え、ユーモアを失わずに奮闘してきた女性事務長からの聞き語りです。

井上能行さんの本「福島原発22キロ 高野病院奮戦記 がんばってるね!じむちょう!!」






2017/02/05

高野病院(双葉郡)にみる福島地域医療の問題点

高野病院は、福島県広野町にある内科64床、精神科53床の病院です。東京電力福島第一原子力発電所から30km圏内にあるために、2011年の原発事故後には緊急時避難準備区域に指定され、患者さんたちには避難指示が出されました。しかし「重症の患者を避難させたのならば、命にかかわるような事態になる」という当時の高野英男院長の判断で、そこに留まって高野病院の皆さまは診療を継続されました。

その高野英男先生が昨年末に火災によって亡くなられました。81歳でした。ご高齢にもかかわらず、震災後には、病棟・外来に加えて多数の当直をこなす、ただひたすらに地域の患者さんたちのために働かれた毎日でした。

院長が亡くなられた後、高野病院には常勤医がいなくなりました。多数の非常勤の医師、ボランティアの医師で診療(私もほんの一部ですが、精神科の診療のお手伝いをさせていただいています)が何とか維持されている状況です。しかし、無為に過ごせば病院は無くなってしまうおそれが強いと言わざるをえません。何としても、院長職をこなせる常勤医を確保することが必要ですが、その点については先行きが不透明なままです。

そんな高野病院をスポットに当て、医療の問題点を語っていただきました。

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